高橋尚子さんら育てた陸上の名伯楽・小出義雄氏、死去 80歳
世界を驚かせた日本人を育て上げた監督が死去。Qちゃんを世界一した監督。
「世界一になるには世界一の練習を」
皆の反対を背に標高2000mでの練習をした小出監督。
本当に驚きました。
そんな監督が死んで寂しいですね。
ご冥福をお祈りいたします。
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小出監督
2000年シドニー五輪女子マラソン金メダルの高橋尚子らを育てた佐倉アスリート倶楽部(AC)の小出義雄代表(79)が3月末日をもって指導者を勇退したことが31日、分かった。
2000年シドニー五輪に向け、高橋尚子は米コロラド州ウィンターパークの標高3500メートルの地で走り込んだ。当時、高地トレーニングは標高1600メートル前後が最適とされ、2000メートルを超えた場所では逆効果になるとも言われていた。
「無謀」との声も聞こえてきたが、小出監督は全く動じなかった。
「世界一の練習をしなかったら、世界一になんてなれない。
Qちゃんには、それができるんだよ」。
長年の経験から確信していた。そして見事に金メダルを獲得。さらに翌年のベルリンで、女子初の2時間20分突破も成し遂げた。
20年も30年も先を行く指導者だった。
1983年の青梅マラソン女子30キロ優勝者は倉橋尚巳、2位は古達千加。
ともに小出監督が顧問を務める佐倉高校の現役陸上部員だった。
インターハイの女子種目が、まだ800メートルまでしかない時代。
女子高生に20キロ、30キロを走らせたら体を壊してしまうと非難されても、意に介さなかった。
84年ロス五輪で正式採用された女子マラソンこそ、日本人が金メダルを獲得できる種目と信じて挑戦し続け、常識をぶち破る誰もやったことのない最先端の指導で実現した。
お酒が大好き 無謀とまで言われることを選手に取り組ませることができたのは、40年以上も前から褒めて育てる監督の指導方針と情熱だろう。
「そんなに良くないのに、監督からいいよ、すごくいいよって褒めてもらうと、私こんなものじゃないんです、もっと頑張れます!って走っちゃうんです」と高橋は振り返る。
時間がもったいないからと、ゴルフも、ギャンブルもしなかった。
その指導にかける熱意も、選手たちの心を動かした。
酒には目がなく、「俺よー、酔っぱらっちゃったよ」と、ご機嫌に選手たちに語りかける言葉さえも、監督は計算していたのではないかと思っている。
(日比野 哲哉)
参照記事
https://hochi.news/articles/20190401-OHT1T50068.html
寂しいけど仕方ないですね。
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