懐かしいなあ!甲子園100回大会!過去の名勝負は、やはり蔦監督率いる池田高校だな(笑)
我が県が誇る池田高校は、1983年までに優勝を常連となりかけたが、まさかの1年生コンビに沈黙させられた!そうKKコンビだ!
あの桑田真澄と清原和博に止められた!
後にプロ野球でも大活躍する2人を相手に止められたのは仕方ないって見方もあるが悔しかったなあ。
しかし、当時はそんな化け物がいるなんて思ってないし!
当時の池田高校監督は蔦監督!
名将蔦監督は、酒好きのバント嫌い!
代表する言葉は、「やまびこ打線」
「やまびこ打線」
はいかにして生まれたのか?
「攻めダルマ」と呼ばれた蔦監督は、常に打撃に特化したチームを作り続けた。
「西山登り」と呼ばれるランニングと、筋力トレーニングで他校を圧倒する大きくて強い身体を作り上げ、バッティングマシンで130kmを越える速球をひたすら打ち続ける。金属バットの性能の向上もあって、長打が飛躍的に増えた。
山間にあるグラウンドには、バッティング練習の金属バットの「カキーン」という音がこだまになって返ってくる。そこから「やまびこ打線」とニックネームがついた。
だったんだよ!
蔦監督は、もうお亡くなりになられましたが、名前が知れ渡ったのは、あのさわやかイレブン
蔦監督は74年に、
部員11人(出場校中最少)の池田は決勝に進出し、部員59人(同最多)の報徳学園に挑んだが、1対3で敗れた!!
まさかの11人と驚かれた!
あー!懐かしい過去の栄光。
県民には忘れられない栄光。
熱い夏だったな(・_・;